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モチベーション理論 [人事1 組織改革]

  モチベーション理論は、1950年代後半に米国で提唱されました。「マズローの欲求段階説」「XY理論」「動機づけ―衛生理論」などです。

  「欲求段階説」は、アブラハム・マズロー(1908年~1970年 A.H.Maslow アメリカの心理学者)が唱えたもので、人間の欲求は,5段階のピラミッドのようになっていて,底辺から始まって,1段階目の欲求が満たされると,1段階上の欲求を志すというものです。①生理的欲求、②安全の欲求、③所属と愛の欲求 、④承認(尊重)の欲求、⑤自己実現の欲求 の5段階あると言っています。生理的欲求と安全の欲求は,人間が生きる上での衣食住等の根源的な欲求,所属の欲求とは,他人と関りたい,他者と同じようにしたいなどの集団帰属の欲求で,承認の欲求とは,自分が集団から価値ある存在と認められ,尊敬されることを求める認知欲求のこと,そして,自己実現の欲求とは,自分の能力,可能性を発揮し,創造的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求のことです。

  次に「XY理論」は、1950年代後半にダグラス・マグレガーの著書『企業の人間的側面』の中に登場する理論です。権限行使と命令統制による経営手法をX理論として批判し、統合と自己統制による経営が、将来の良い経営手法となると主張しました。

 D.マグレガーとA.マズローは子弟関係にあり、マズローが先に唱えた欲求段階説を基にして説明されています。XY理論に境界はなく人間はX-Yを繋いだ線上にある前提で、X理論は低次元の欲求を多く持つ人間の行動モデルに分類され、Y理論は高次元の欲求を多く持つ人間の行動モデルに分類される。

  X理論;「人間は本来なまけたがる生き物で、責任をとりたがらず、放っておくと仕事をしなくなる」という性悪説的な考え方。この場合、命令や強制で管理し、目標が達成できなければ懲罰といった、「アメとムチ」による経営手法となる。

  Y理論;「人間は本来進んで働きたがる生き物で、自己実現のために自ら行動し、進んで問題解決をする」という性善説的な考え方。この場合、労働者の自主性を尊重する経営手法となり、労働者が高次元欲求を持っている場合有効である。

   社会の生活水準が上昇し、生理的欲求や安全欲求などの低次欲求が満たされている時には、X理論の人間観によるマネジメントは管理対象となる人間の欲求と適合しないため、モチベーションの効果は期待できない。低次欲求が充分満たされているような現代においては、Y理論に基づいた管理方法の必要性が高い、とマクレガーは主張しています。

  このY理論による管理手法はアメリカのP&Gのジョージア州の工場で採用されて、それによりこの工場はP&Gの全ての工場の中で抜きんでた利益率を達成し続けました。そこでP&GはこのY理論による経営管理手法を競争相手に知られないために1990年代半ばまで社外秘にしていました。

 日本でも『ソニーは人を生かす』1966年小林茂著 はソニーの厚木半導体工場の労働争議を盛田さんが招いた新任工場長がY理論で解決したくだりが述べられています。タイムレコーダーの廃止や社員食堂のレジ係の廃止等で労働者を信頼しその自主性を強調しました。遅刻は格段に減り、食券の回収の正確性も上がったそうです。人間として信頼されるとだれもがまじめにやるものであるという例です。

   フレデリック・ハーズバーグ(1923―2000年)はアメリカの臨床心理学者で、モチベーションの性質と人をやる気にさせる最も効果的な方法の研究によって、影響力のあるマネジメントの思想家となりました。彼の「動機づけ―衛生理論」は1959年に刊行された『作業動機の心理学』(The Motivation to Work)で発表されました。

  ハーズバーグはまず、人間の欲求には2種類あると仮定しました。「苦痛や欠乏状態を避けたいという、動物としての低レベルな欲求」「精神的に成長したいという、人間としての高レベルな欲求」

 これらの欲求は、生活全般と同様に仕事の場面でも満たされなければなりません。彼は調査の結果から、職場におけるある要因は第1レベルの欲求事項を満たすが第2レベルの欲求は満たさず,第2レベルの欲求を満たす要因は第1レベルを満たさないという結論を導き出しました。彼は前者の要因を「衛生要因」と呼び、後者の要因を「動機づけ要因」と呼びました。この理論によると、仕事の満足に寄与する要因のほとんどは動機づけ要因で、不満に結びつく要因のほとんどは衛生要因です。衛生要因を改善しても、それは、その人の成長を促すものではないということです。


  さて、1970年代に入り日本の経営手法が注目され、責任、コンセンサスが経営手法に重要な要素として取り入れられ、日系3世のW.G.オオウチ教授が「セオリーZ」を1981年に公表しました。彼は、企業モデルにアメリカ版(A理論)と日本版(J理論)があるという安直な対比を捨てました。どちらの国でも優良企業は似ている点に着目しました。米国での優秀な企業はHP、IBM、P&G等です。アメリカで生まれ発展した企業なのに、日本企業に類似した特長を持つ企業をZ型と名づけました。

  Z理論は、「信頼・ゆきとどいた気くばり・親密さ」という平等主義的雰囲気が、それぞれの人が思慮を働かすことができ、細かい監視を受けずに自立的に働くことができるという長所を持つということです。しかし、一般に認識されているように、このZ理論は多くの欠点をもっています。①ドラスティックな環境変化に対応できない。②昇進等において偏向が生じる。③同質化が進み、異質なものを評価しない。・・・等です。今の日本企業のジレンマですかね。


  最近話題に上ることの多い、ダニエル・ピンクの「モチベーション3.0論」(2009年発表)は、ある意味では、ハーツバーグらのこうした議論をさらに発展させたものです。彼は、「モチベーション 1.0」は「生存や安心に基づく動機づけ」、「モチベーション 2.0」は「アメとムチに駆り立てられる動機づけ」だと定義し、内面から湧き出るやる気に基づく「モチベーション3.0」こそが、創造性を要する高度な知的業務に携わる現代の労働者には、重要な「やる気」の源泉だと主張します。

http://nasser.blog.so-net.ne.jp/2010-08-30

  私は、まだX理論支持のマネジメントが特に日本では多いかもしれないという危惧があります。
特に、会社の業績が悪いと社員は、安全の欲求などの衛生要因ばかり気にしたり、また、皆が近視眼的になり、マネジメントは、短期目標達成に優先度合いを上げ「アメとムチ」を使用しがちになるような気がします。Y理論を実践しようとすると、中長期的な施策が必要になり、即効性がないと思うからでしょうか。

  XとYはトレードオフの関係にあるわけではないので、どちらのいいところも取り入れたZ理論でやるのがいいと思います。指摘されているように、Z理論はドラスチックな環境変化に対応できないとかの欠点もあるので、モチベーション3.0で述べられているような、「個に内発的動機を起こさせる」という事を付加させることがポイントなのかなと思います。

 そのためには、従業員意識調査のようなもので、社員の意識を見える化し、愚直に衛生要因も動機づけ要因も改善していくように努力することまたそれをメカニズムとして回すと言うのが大事だと思います。


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「失われた20年はウソ」だった? [人事3-人材育成・グローバル人材・評価]

   先週日経新聞が、8月11日にForbesに載った「The Story Of Japan's 'Lost Decades' Was Just One Big Hoax」という記事を取り上げて書いた「語られ始めた「日本の失われた20年はウソ」という真実」という記事がネットで話題になっています。 彼は、今年の初めに「The Myth of Japan’s Failure」という記事も書いています。

  この話は今年の初めにも「Japan's Stagnation Is A Myth」という記事がForbesで取り上げられました。

  私は今年1月に帰国してから半年日本にいますが、なんとなく実感として「日本、悪くないな」と実感するんですよね。食事や服などの物価安い割に質はいいし、インフラもしっかりしているし、日本は、結局生産性を上げて頑張っているんじゃなかろうかと思い始めました。

ブラジル

フランス

ロシア

  なんかこういうビデオを見たり、海外でラーメン店が大ヒットしてるとか、いろいろ聞くとどうも波がきているような気がします。1990年代前半は、「おしん」や「ドラエもん」などがブームになったりして、特に東南アジアや台湾では、日本に学べみたいな風潮がありました。それは、戦後高度成長を経て先進国になったからでしょう。

  今のブームは、私が考えるに、江戸時代の鎖国をしていた太平の世に、文化が醸成されたように、失われた20年とかいいながら、日本はガラパゴス化して、独特の「おもてなし」「素晴らしいインフラ」「アニメ」「かわいい」文化を醸成したのではないかと思います。よって、日本に来た外国人は、驚くのかもしれません。シンガポールの若い社員が日本で三か月研修受けていますが、末端の労働者まで礼儀正しいことに驚いています。

  そして、日本人は、鎖国をしていた太平の世の江戸時代のように、この失われた20年とかいいながら、平和で楽しくやっていけるこの状態をずっと続けたいと思い、海外に行きたくないとか英語をやりたくない若者が多くなったりしているのではないのでしょうか。

   もちろん20世紀の高度成長時代のように、毎年大幅なベースアップなどはないですが、だからと言って、皆、貧困に喘いでいるわけでもなく、失業者が増えたり、犯罪が増えているわけでもありません。震災後も頑張っています。

 どうも我々の頭の中に20世紀の高度成長時代の成功パターンが唯一の経済的成功で、名目的ないろんな経済指標がその尺度としてもちいられているからのようです。そして、その数字が上がらないと「日本はダメだ」となる。

 先週のInsightのアニメではないですが、今、全世界で「日本ブーム」が起こっています。「かわいい」なんて言葉も普及し出しています。ブームは、私が考えるに、江戸時代の鎖国をしていた太平の世に、文化が醸成されたように、失われた20年とかいいながら、日本はガラパゴス化して、独特の「おもてなし」「素晴らしいインフラ」「アニメ」「かわいい」文化を醸成したのではないかと思います。よって、日本に来た外国人は、驚くのかもしれません。シンガポールの若い社員が日本で三か月研修受けていますが、末端の労働者まで礼儀正しいことに驚いています。

 
  先日の「東京オリンピック誘致プレゼン」の時に、東京と日本のよさをアピールしましたが、本当
に誇れる事がいろいろあるなと思いました(誘致PRビデオ)。また、滝川クリステルさんの
「お・も・て・な・し」のプレゼンも決して誇張していると思いません。

 1776年にジェームズ・ワットが蒸気機関を発明したのを機に、生産手段が大規模化し、大量生産がおこなわれるようになって、いわゆる「産業革命」が始まりました。アダム・スミスによる「個人がそれぞれ自己の利益を追求し自由に経済活動に励みさえすれば、結果として社会全体の利益が達成される」というブルジョア資本主義の理論が確立されたのも同じ年です。つまり、資本主義の歴史は200年ちょっとということになります。しかし、当初は社会全体が豊かになるのではなく、生産手段をもっている資本家だけが豊かになっていきました。

 それに不満を感じた人々のなかには、「生産手段を資本家の手から労働者へと取り戻せば、格差が解消され、全ての人が幸せになれるはずだ」と新しい理想をあげる者が出てきた。それが、社会(共産)主義です。しかし、これも実際には一部の特権階級だけが潤うということになってしまいました。

 第二次世界大戦後は、この資本主義圏と社会(共産)主義圏に世界は分かれ、米ソ冷戦時代といわれる状況がしばらく続きました。今から20年前の1991年に、ソビエト連邦が崩壊し、時代は、資本主義優勢へと移行してきました。その10年後の2001年に「BRICs」という言葉が登場するように、資本主義へ舵をとる旧社会主義国が増え、日・米・西欧中心の資本主義は、一気にGlobalへと波及し、世界経済至上主義とでもいいましょうか、経済優先の世界が作られています。世界は、短期的なマネーゲームというか、ありあまった資金がいろんな投資へと目まぐるしく移動しており、それによって、経済危機が起ったり、様々な影響を本来の経済活動以外のところで影響をあたえだしています。

 2011年のダボス会議では、「Rethinking Market Capitalism」というテーマで、議論がされ、投機的投資に国際的な制限を持たせたルール作りがいるのではないかという意見もでました。また、昨年のHarvard Business Reviewでは、「Capitalism for thelong term」という論文で、企業は全てのStake Holderを満足させればならないとよくいわれるが、数秒しか株を所有せず、短期的なリターンしか求めないTraderも満足させなければならないのだろうかと提言しています。

 要は、行き過ぎた資本主義は、企業に短期的なリターンを求める圧力が大きくなり、長期的に、本来企業が実現したい、社会の欲求(ニーズ)を実現するのが難しくなり、Innovationが生まれてこないということです。

  世界は、「Post資本主義」を必要としていると思います。

 と考えているところに「オキシトシン」の話が飛び込んできました。「オキシトシン」とは、人間が相手を信頼できるか否かを決定する際にでる脳内化学物質のことだそうです。PaulZakは「TED」や「経済は競争では繁栄しない」という著書で利己主義よりも利他的行動のほうが経済を反映させると説いています。

 私もそうではないかと思います。そして、それに一番近い社会を持っているのが「日本」ではないかと。

 よって、これを誇りに思い、世界に普及させるべきではないかなと思いますし、「2020年東京オリンピック」はそれのいい機会だと思います。実際、下村文部科学大臣は「2020年はスポーツの祭典だけでなく、1年間かけてオールジャパンで日本の粋や思想など表現できる文化芸術イベントを行うなど様々な付加価値をつけたオリンピックを行いたい」と語っています。

 時々、「日本人は自虐的である」という話を聞きます。「失われた20年はウソ」という話が日本からではなく海外から起こっているのもいい例です。下記は、ダイヤモンド・オンラインに掲載された記事です。


“自虐”日本に驚く世界のエリートたち==========================

 エールでもハーバードでも、世界中から集まっている知識人と交流していると、一つだけ共通する反応がある。それは、「日本人ほど日本に厳しくて自虐的な人たちはいない」と皆がいうことだ。「自国に対して過剰なほどに自虐的な日本人」に世界の知識層たちは驚いているのだ。

 もっといえば、「日本人が日本のことを悪く言うたびに、自分の国の方がひどいので、自分がつらくなる」という人までいる。

 アメリカの大学には、世界中から学者や実務家が集う。長期の研究、短期の研修まで幅は広い。日本からも、数は減ったとはいえ、逆に今までより厳選されたともいえる優れた学者や研究者、ジャーナリスト、ビジネスマンが来られている。

 日本の研究者や社会人留学生やジャーナリストは、愛国心が強く完璧主義で優秀だ。指摘は鋭く正確。今の日本の政治や財界の混迷に怒るのも無理はない。ということで、彼らと共に各国知識層を囲むと強烈な自己批判が起こる。
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 私も、海外で日本批判をしたような記憶があります。しかし、やはり、いいところはいいと主張し、いいのであれば、それをグローバルに普及させるぞとかいう意思を持っていないと、新のグローバル人ではないんだなと反省しました。

 20世紀の資本主義体制下の高度成長での大成功を懐かしみ、「夢をもう一度」とそれに固執するのではなく、21世紀での新たな「オキシトシン型社会」をグローバルに構築していく先駆者に日本はならなければならないということですね。


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