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鬼の中近東課 [人事4-キャリアプラン]

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    入社したての頃の先輩は怖かったです。ある時、海外駐在していた先輩が出張で一時帰国してました。一言も我々にしゃべりません(コミュニケーション能力ゼロかと思いました)。

  そんな先輩が、当然「モデル番号x△?xのカタログ持ってこい」と小さい声でボソっと私に言います。不意をつかれた私は、そのモデル番号x△?xは聞き取れません(まだモデル番号もよく知らない時でしたから)。でも聞きせるような雰囲気ではありませんでした。

  「はい、分かりましたっあ!」と、課を飛び出し、一目散に広告課へ走っていきます。当時は、広告課がカタログを管理していました。カタログ担当の年配の人に、「カタログください!」と大声で頼みます。

  「どのカタログ?」と当然のように聞かれます。

  私の答えは、今でも忘れません。

  「わかりません」

  「えっ? わからないとあげようがないんだけど、、。」

  その人は、私が泣きそうな顔をして、バカなお願いをしているのをまじまじと見て、全てを悟った顔をされました。

  1980年代の海外営業本部(通称「海営」)の中近東課というのは、会社中で知られている怖ーい、軍隊のような部署で、「鬼の中近東課」という部署で、皆が恐れる部署だったのです。

  私の配属希望は当然の事ながら、欧州か米国課で、中近東課だけは、イヤだと言っていたにも関わらずの配属でした。

  「そうか、誰に頼まれたの? ああ、あの人。 ということは、今、ビジネスが熱いここら辺だろうな。最近の新製品のここらへんも狙い目だな」

  と、数モデルのカタログをポンポンと選びます。私は、まるで神業を見ているようでした。私のほとんど初めてのお使い的な情けないお願いにも関わらず、状況判断をしての行動です。

  「遅くなりました。カタログです!!」

  と、絶望から得意満面と激しく心を変動させて渡しました。

  「違うじゃないか、、、」

  私は、また奈落の底に落ちていきます。

  「カタログすら、まともに持ってこれないのか、、もういい。。」

  私が、「無能」であると烙印された瞬間でした。

  その後、その先輩は、日本にいる間、一言も私に話しかけませんでした(涙)。

  これは、私の情けない話ですが、この課では、理不尽な話が頻繁にあり、私だけでなく、若いやつは皆その経験をしています。たとえば、部長主催のランチは、松風で天ぷらそばと決まっていて、何も知らない新人がエビの尻尾を残すと「バカヤロー!」と罵声が飛びます(おかげで、今、エビの尻尾を食べるようになりました)。

  しかし、理不尽には抗体ができ、その後、どんな世の中の理不尽にも「中近東課よりはましか」と思うようになりました。今思うと、これは教育だったのかもしれませんが(多分違うと思うけど)、その時は、自分達の身の不運を嘆いたものです。

  ただ、その後、理不尽の制裁をうけた皆、販売会社の社長になりましたね。

  昔、上司が異例の出世をした時に、私ともう一人の先輩とで、お祝いの言葉の後に「まさか自分ひとりの力で昇進したと思ってないですよね?」と半分冗談、半分本気で詰め寄ったことがありました。

  「もちろん、ありがとう」と言われた時、私に15年前、無能の烙印を押した先輩からのその言葉は、「俺はもう無能ではない」という自信になりました。

 


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