SSブログ

Innovation [人事1 組織改革]

   今晩は、ある機会がありまして、「なぜ日本にInnovationがなくなったのか?」と言う事を話あいました。

 私の論旨は、まず、日本は、戦後の高度成長期に非常な躍進を遂げた。これは、後から考えると至極当然な結果であった。つまり、戦後、何もないところから、成長を遂げたのは、米国の後を追い、Hungry精神で、それこそ低賃金で追い越せ追い抜けでやってきた。それで、成功を勝ち得た。1979年には、エズラ・ボーゲルが「Japan as No1」と持ち上げましたが、Hungryでなくなったバブル後は、韓国、中国という次のHungryな国から同じような低賃金で攻められ、今、とって変わられようとしています。

  じゃあ、日本から駆逐された米国は、それからどうしたかというと、新たなInnovationにより、特にInternetの世界で世界を覇権し始めました。一方、日本はどうかというと、このInnovationの勝ちパターンが見出せず、まだ、高度成長期体制を引きずっていると思われます。

  米国が、Innovationを見出した根本の要因を考察すると、それは、Diversity「多様性」だと思います。つまり、いろんな考えを持った人を受け入れるSystemが出来上がっていたと。古くは、モンゴル帝国しかり、ローマ帝国しかり、長く繁栄した国家は、他民族でも優秀な技能を持った人を登用する仕組みが出来上がっていました。米国でも、ある程度の条件を満たせば、グリーンカードが発行されます。ハーバード大には、たくさんのインド人の教授がいると聞きます。現在、米国で成功している世界的な企業の創業者は、非アングロサクソン系です。Singaporeでも人材が国の発展には、重要だということで、バイオポリスなどをつくり、世界中から科学者を集めたり、Talent Hubを標榜し、Multi National CompanyにCorporate Universityを作ることを奨励したりしています。

 一方、日本はどうかというと、いつまでも、「純血主義」を突き通し、多様化には抵抗しています。外国人の看護婦すら、日本人と同じ国家試験を受けさえ、事実上の締め出しをしています。

 さて、多様性には、Communicationの努力という「取引コスト」が発生します。つまり、日本人のように常識がかなり高度に共有されている社会、つまり、「あうん」の呼吸が通じるという世界でまれにみるCommunicationが楽な社会では必要のないコストです。

 Communicationで一番必要なToolは、「言葉」です。これがGlobalには、英語となります。ドイツでもこの重要性にきずき、英語教育が強化されました、韓国では、1987年のアジア通貨危機の際に、Globalに生きていくしかないという教訓を学んだ後、英語学習熱は高まり、今では、小学校3年から英語教育はされていますし、今では、フィリッピンあたりに、母子留学までして、英語を習得させています。韓国の一流の歌手やスポーツ選手は、英語や日本語が堪能なことが条件になっているほどです。英語が話せる大学生の数は、もうすぐ中国が米国を追い越します。

 今や、世界中で、大学までの教育を受けた人で、一カ国の言語しか話さない国は、米英国人と日本人くらいなものです。ましてや日本の最高学府の東大生が英語がしゃべれないのは異常以外の何物でもないのではないでしょうか。もう何十年も日本の英語教育は間違っているといわれ、何も改革がされないのも不思議なことです。

 日本人は、1970-80年代の成功をまだ引きずっていて、「語学屋なんかいらないブロークンでも通じればよくて、いかに仕事ができるのかが大事だ」という語学軽視がまだあります。ブロークンJapanese Englishが通用したのは、日本ビジネスが世界に通用していた時の話です。今、そうでないときに、Diversityを必要とするなら、Communication力、つまり、英語ができないと話しになりません。

 そして、もうひとつは、その多様性を持った人の意見を英語で理解し、尊重し、その「取引コスト」を最低限にし、Innovationへと持っていけるmanagement skill と Leadership です。

 世界のジョーク集に、「国際会議の議長の仕事は、インド人を黙らせるのと日本人をしゃべらせることだ」というフレーズを読んで、笑っている場合ではないということです。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。