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日本人2.0 [D2.日本史・世界史・近未来]

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  講演頼まれて、常夏のシンガポールから一路、東北新幹線で山形に行きました。山形大学で行った「グローバル人材とは」という講演で、私が話したのは、「もう一度日本人2.0にかえれ」ということです。

  1859年に来日したオランダ人宣教師フルベッキは、長崎オランダ塾で、語学(英、仏、蘭、独)のほか政治、天文、科学、築城、兵事の諸学を教えていました。その時の生徒との写真です。

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 この生徒達、皆さん知っている人がたくさん写っているのではないしょうか。皆、まだサムライですよね。私は、この頃の日本の動きに驚異的なものを感じます。明治維新は、1868年です。それまではずっと鎖国をしてたサムライ時代で海外との接触がなかったにも関わらず、それから26年後の1894年には、日清戦争、1904年には、日露戦争など、大国と戦争ができるほどの国力をどうやって育んだのでしょうか。しかも、1895年には台湾統治、そして1910年の朝鮮統治です。
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  戦争や統治の話は別として、今でさえ、グローバル化だ、異文化理解をしなければならないとか言っているのに、異文化に触れ始めて、わずか20-40年で、大量の日本人が、海外とこう激しく接触する動きは驚きです。1853年開国を迫った黒船の艦長ペリーは、黒船に驚いて夜も寝れなかった日本人の近未来を想像だにしてなかったでしょうね。

 よく会社でも「小枝につながれたゾウ」のように、自分は変われないとか思わないで、どんどん挑戦して、変革を起こさないといけないとか、今言っていますが、明治維新の時の人が聞いたら、あきれるでしょうね。「チョンマゲ切って、刀捨てて、下駄脱げばいいじゃん」と、、。
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 初代台湾総督の樺山資紀は、1837年に薩摩藩士の三男として生まれました。そして、サムライとして育ち、16歳の時に黒船が来たと聞いたかどうかはわかりませんが(テレビもネットもなかったですから)、31歳の時に明治維新を経験し、58歳の時に総督になったわけです。

   この変化に対する適応能力は、驚異的ですよね。

  私の感覚では、日本人は、鎖国をしていた時代劇によく出てくる太平の世のサムライ日本を「日本人1.0」と言うならば、明治時代以降は、「日本人2.0」になって、海外からのいろいろなものを吸収して変革していったと思います。そして、20世紀後半から、「もうそう海外から学ばなくてもいい」と言うような風潮が来て、少し、変革という点においては、後退して、「日本人1.5」くらいになってきているのではないかと危惧します。

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 上図のように、人口もどんどん減っていく時期になってくると、このままでは、またガラパゴス化した「日本人1.0」へ戻っていくのではと思います。「失われた20年はウソか?」で書いたように、ある意味で、日本の良さに気付き、異文化を吸収することにためらわず、新たな開国をして、「日本人2.0」になるべきだと思います。明治時代の人のような変化対応能力があれば、「日本人2.5」くらいまでいけるのではないかと思いますね。

先人の歴史を振り返ると自信が湧いてきます。
 


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