ムンバイ・テロ [D1.政治・経済・社会]
インドの商都ムンバイはかねて、あまりに多くのテロに見舞われてきた。1993年には、ヒンドゥー教過激派によるアヨーディヤーのモスク破壊事件への報復と見られる連続爆弾攻撃で250人以上が死亡した。
今回の非道な虐殺――というより組織だって実行された一連の虐殺行為――は、ムンバイでも過去に類を見ないものだ。このことは、インドだけではなく、全世界におけるテロとの戦いにとって警戒すべき重大な意味合いを含んでいる。
今回のテロは2つの点において、過去の多くの攻撃と大きく異なる。第1に、作戦計画の精巧さとテロに関与したであろう人員の数。第2に、外国人を選んで標的としたことである(犯行グループは米国人、英国人、イスラエル人を探し出して人質にしたと見られる)。
本誌(エコノミスト)が印刷に回された時点で、ムンバイの危機はまだ続いていた。人質はまだ解放されず、タージ・マハル・ホテルは黒い煙を上げて燃え続け、時折、銃撃や爆発音が聞こえていた。犯行グループの実態は分からないが、「デカン・ムジャヒディン(聖戦士)」を名乗る、それまで知られていなかったグループがテレビ局と接触し、犯行声明を出した。
そのようなグループが実在するかどうかはともかく、イスラム過激派に嫌疑がかかることは避けられない。しかも、今回のテロの手法――ニューヨークの世界貿易センタービルやロンドンの地下鉄を襲ったテロに似た手法――は大勢の民間人を殺傷する狙いの「ソフトターゲット」に対する同時多発攻撃で、このことからアルカイダの関与か、少なくともアルカイダの影響が背景にあることがうかがえる。
最近まで、自国はアルカイダの禍とは無縁だと考えていたインドにとって、これは深刻な問題である。ジョージ・ブッシュ大統領は数年前、インドのマンモハン・シン首相をローラ・ブッシュ夫人に紹介した時に、インドは1億5000万人のイスラム教徒を抱えながら、アルカイダのメンバーが1人もいない国だと説明したとされる。
スポンサードリンク
コメント 0